予告編

イントロダクション

舞台は、東日本大震災から10年後の福島。原発事故で離ればなれになった家族と、青春を奪われた青年たちの姿をまざまざと映し出す。監督・脚本は、79年のデビューから監督作は5本と寡作ながらも、代表作『追悼のざわめき』(88年)など日本のみならず世界中の映画ファンから支持されている松井良彦。震災から1年後に訪れた福島の惨状を目の当たりにし、映画制作を決意。自らの足で何度も福島を訪れ、多くの取材とリサーチを重ね、オリジナルストーリーを書き上げた。構想から13年、美しいモノクロームの世界の中に、社会への痛烈な怒りと切実な祈りを込め、観るものの心を揺さぶる魂の映画が今解き放たれる。

主人公のアキラを演じるのは、是枝裕和監督『奇跡』(11年)で映画デビューにして初主演を飾り、以降、映画やドラマ、舞台を中心に俳優として着々とキャリアを積む前田旺志郎。アキラの友人・真一役には、18年に俳優デビュー後、篠原哲雄監督『ハピネス』(24年)で映画初主演を果たし、映画やドラマ、CMなど活躍の場を広げる窪塚愛流。期待の若手俳優2人の共演によって、行き場のない怒りを抱えた青年たちの感情がリアルに浮かび上がる。さらに、家族の再生に苦心する真一の父親・篤人役には、今の日本映像界を牽引する俳優、井浦新。さらに、柏原収史、波岡一喜、近藤芳正ら実力派俳優が集結。傷痕が深く残る福島の地で、それぞれの立場で苦しみもがく市井の人々の姿を露わにしている。

ストーリー

癒えることのない傷痕、取り戻せない時間、行き場のない怒り。
原発事故で離散した家族と、青春を奪われた青年たちが向かう先は──

2021年、夏、福島。17歳のアキラは、10年前の原発事故に遭い、母親を被曝で亡くし、原発職員だった父親は罪の意識に苛まれ除染作業員として働きに出、家族はバラバラに。アキラの友人・真一は、拠りどころを失い、学校にも来ず彷徨うアキラを心配するが、彼も人には言えない孤独を抱えている。
ある日、アキラはサーフショップを営む小池夫婦と店員のユウジに出会い、閉ざしていた心を徐々に開いていく。真一も以前とは違う様子のアキラの姿に安堵し、サーフショップに通い始める。 しかし、癒えることのない傷痕が、彼らを静かに蝕んでいく――。

キャスト

小池ミツオ

柏原収史

樋口ユウジ

八杉泰雅

小池サキ

金定和沙

アキラの母・広瀬香里

里内伽奈

真一の母・山本明子

大島葉子

警官・吉田俊一

山本宗介

アキラの父・広瀬忠

波岡一喜

警官・勝俣康弘

近藤芳正

監督

監督・脚本

松井良彦 Yoshihiko Matsui

監督

1956年5月6日生まれ、兵庫県出身。75年、石井聰亙監督とともに自主制作映画集団「狂映舎」の設立に参加。石井監督作品のスタッフを務めたのち、79年、『錆びた缶空』で監督デビューし、ぴあ誌主催のオフシアター・フィルム・フェスティヴァル(現PFF)に入賞。続く第二作『豚鶏心中』(81年)では、天井桟敷館で長期ロードショーを果たす。第三作『追悼のざわめき』(88年)は、中野武蔵野ホール(04年閉館)で開館以来の観客動員数を記録。さらに他館を含めて初公開から30年間上映され、07年には、上田現の音楽が加わり、デジタルリマスター版として再び国内外で上映された。第四作『どこに行くの?』(07年)は、第30回モスクワ国際映画祭正式招待作品に選ばれる。そして、18年ぶりの最新作『こんな事があった』が25年9月に公開を迎える。

コメント

2025年9月13日(土)。私の監督作品、映画『こんな事があった』が公開されます。
この映画に関わってくださったスタッフやキャスト、並びに協力をしてくださった方々に、心から感謝をいたします。「ありがとうございます。おおきに!です」
その方々のご尽力というのは並々ならぬものがあり、作品への想いはもちろんですが、これまでに培ってこられた技術や才能を、惜しむことなく注ぎ込んでくださった。その賜物がこの映画『こんな事があった』なのです。
他方、私には、今もずっと思いつづけていることがあります。それは、今現在も福島だけでなく日本自体が、原子力緊急事態宣言のもとにあるということです。つまり、まだ何も終わっていないのです。にもかかわらず、ほとんどの日本人の記憶の中で原発事故は、希薄なものとなっています。これはとても危ないことであり、決してそうであってはならないことなのです。そんな今、この現状だからこそ、一人でも多くの皆さんに本作を観て、考えていただきたいと思います。それがこの映画の存在価値であり、存在意義でもあるからです。
もし会場等で皆さんとお会いした際には、お話しできれば、幸いです。

コメント

K's cinema支配人
酒井正史(元中野武蔵野ホール勤務)

中野駅北口サンモール商店街を右に入った八百屋の隣、半地下の映画館で『追悼のざわめき』は始まりました。
あの熱狂を知る者にとって、再び松井良彦監督の新作を鑑賞できることは、感慨深く、また嬉しい限りです。
インディーズ映画とは、何ものにも頼らず、独立した、作家性の強い作品であると『追悼のざわめき』の上映を通"して教わりました。
あれから37年、変わったことは沢山ありますが、未だに変わらない事も多くあります。
同調圧力、差別、偏見など、それらに対する怒りを胸にこれからも生きていこう、そう思わせる力がこの映画にはあります。

K's cinema番組編成
家田祐明(元中野武蔵野ホール勤務)

平和の象徴の鳩は頭を捥ぎ取られ空へ放り投げられ、首なしの鳩は黒いカラスに貪り喰われ、我々の平和な日常をも貪り喰らう。神々しいまでの修羅場が描かれた『追悼のざわめき』。綿密に練られた計画的犯行のような"追悼のざわめき"の行為は映画の事件だった。そしてリマスターされた『追悼のざわめき』。暴れ回った怪物が、ぶっ壊しまくった怪物なのに、何故かその時は、哀しみを憶えた。どこに向かえばいいのか? どこへたどりつけばいいのか?
『追悼のざわめき』から彷徨った私は、『どこに行くの?』に出会う。ここでもまた、異形のセクシャリティが描かれた。"異形"。このことばに込められた思いが誰よりも強い監督、松井良彦。『追悼のざわめき』によって芽を出した異形の花は、震災を経てもなお、2025年も咲き続け、『こんな事があった』にたどり着いた。汚染されたコンクリートの隙間からでも咲いている。踏みつけられても引き抜かれても何度も狂い咲いてくる。異形の花にしやがった国め。人間め。そして自分自身へ。糞みたいにゴミみたいに街を闊歩する我々に憎悪をもって花は咲いて姿を見せる。これから我々は松井良彦監督『こんな事があった』を公開する。異形の花を摘んだ少年がそこにいる。その花を眺め、何を思うのか。差別のない美しい国作りに余念のない人間どもめ。"こんな事があった"ことを彼方に追いやり、笑顔を振りまきながらせせら笑い、善意の面を下げ、異形の花を踏みにじるお前たちに、『こんな事があった』は、鉄槌をかましてくれよう。静かに、苛烈に、そして沸点に沸いた怒りを監督松井良彦がぶつけるのだ。

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